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“書きかえられた”沖縄戦・・・・☆沖縄県民だけで12万人に上る戦死者

民間人を巻き込まない戦争などありません、今でも戦禍の中にいて彷徨う多くの人々がいます・・・

日本はアジアの国々に加害者として向き合うことは当然ですが、広島、長崎、そして
沖縄の犠牲とも向き合わないと戦後は本当に終わらない。

沖縄には常に被害者として蹂躙してきて戦後も繁栄の犠牲としてきました。

先日もNHKの番組から記事にしましたが
沖縄戦全記録データ化、 全貌が明らかに☆南の島を悲劇の戦場に変えた“軍民一体”の地上戦の実態
こういう番組を夜遅くEテレでなく放送すべきです。


2015年 8月15日(土)よる11時放送
再放送8月22日 よる0時放送(金曜深夜)

アジア・太平洋で膨大な戦死者を出したあの戦争から70年。

日本人だけで310万人を超す犠牲に、国はどう向き合ってきたのか?

そのことを考える上で、重要な場所がある。
太平洋戦争末期、日米が激しい地上戦を繰り広げた沖縄だ。

戦死者は軍民合わせておよそ20万人。沖縄県民だけで12万人に上る。
日本軍は、アメリカ軍の本土侵攻を食い止めるため、沖縄で"時間稼ぎ"のための
持久戦を展開。深刻な兵力不足を補うため、学生や女性、老人までもさまざまな形で戦場に
"根こそぎ動員"した。

日本軍が潜む地下壕(ごう)やガマと呼ばれる洞窟に、軍民が混在する状況が生まれ、
アメリカ軍の無差別の攻撃の中で、住民の犠牲も拡大していった。

戦後、国は、沖縄県民の4人に1人という甚大な犠牲に報いるために、ある支援制度を拡大していく。
軍人・軍属の遺族を支援するための「戦傷病者戦没者遺族等援護法」だ。

今回、NHKはその援護法関連の国の膨大な内部資料を入手した。
本来、一般住民には適用されないこの制度を、国は民間人にまで拡大していた。
日本軍に協力して亡くなった人を「戦闘参加者」と位置づけ、およそ5万6千人を、
軍人・軍属に準ずる存在として援護の対象としたのである。

ところが5万を超す「戦闘参加者」の名簿をつぶさに見て行くと、不自然な部分があること
が分かってきた。

住民が日本軍に協力して亡くなったという「死の理由」の多くが実態とは異なるものに
"書きかえ"られていたのだ。
日本軍に強制的に壕を追い出されて亡くなったケースは、軍に「壕を提供」して亡くなった、
と書きかえられていた。


なぜ、そのような事態が起きたのか。そしてその事は今に何を突きつけているのか。
膨大な資料と関係者の証言から、戦後70年たってようやく浮かび上がった、
知られざる戦後補償の歴史をひもとく。

ETV 特集「“書きかえられた”沖縄戦~国家と戦死者・知られざる記録~」まとめより★
6月23日、沖縄慰霊の日。沖縄戦で家族を失った神谷洋子さん78歳。
生後すぐに命を失った弟の名が、今回やっと平和の礎に刻まれた。
沖縄の戦死者は約20万人とされるが、いまも遺骨さえ見つからない人もいる
犠牲の全体像はまだわかっていない。

専門家が40年かけて戦争体験を聞き取りしたテープには、さまざまな形で住民が
戦場に駆りだされた実態が。
「命令が来て、一線の方に兵士と一緒に駆りだされた」「急造爆弾(斬り込みに使う)の一個は自分が背負って」
「鉄砲もない、竹槍と手榴弾くらい」「戦車の下に入って爆発」

「根こそぎ動員」のもと、沖縄の住民が戦場に駆りだされた。
「全県民が兵隊になることだ。即ち一人十殺の闘魂をもって敵を撃砕するのだ」
日本軍は地下壕に隠れ、敵を待ち伏せる作戦をとった。地下壕には戦火を逃れた住民も混在。
米軍は壕の入り口を塞ぎ、火炎放射器で焼きつくす。

「おじさんがもう生きていて焼ける。パチパチして」米軍の侵攻に伴い、南部の狭い地域へ
追い詰められる日本軍兵士と住民たち。
壕に入れず彷徨う住民たちを、米軍の艦砲射撃が襲う。

「人間の肉片、手足の切れたものがずっと散って飛び上がる。死体が山積みみたいな格好で」

壕の中では「赤ちゃんが泣くもんだから、泣かすなと。殺すしかない」一家全滅も相次ぎ、
戸籍も消失し、正確な犠牲者の数は今もわからない。

沖縄で日本の組織的戦闘が終わって2か月後、8月15日に玉音放送。

日本人の犠牲者はおよそ310万人。うち民間人は80万人。

経済的に困窮していた遺族への支援が急がれた。
占領下の日本政府は、沖縄戦の被害状況の調査を始める。
国会で調査結果報告。

「どれが自分の肉親であるか判別もつきかねた」「同胞愛に報いるの方途を講ずべきである」

厚生省の元職員、石井一照さん85歳。
「地上戦になったおかげの犠牲。一般住民が軍に協力して、軍の政策で犠牲になって。
沖縄の場合ちょっと特殊」
政府は真っ先に軍人・軍属の遺族の支援を「戦傷病者戦没者遺族等援護法」で行う。
年間3万円近い援護金。現在年間最大196万円。


一方、一般の犠牲者の遺族への支援は行われない。

東京大空襲について、住民が国に損害賠償を求めたが、訴えは退けられた。
原爆投下された広島長崎については、平成6年に被曝者援護法が制定されたが、
あくまで医療・福祉面の援助のみ。

立命館大学・赤澤史朗名誉教授「国に雇われた人は戦争を公務として戦ってケガをした、死んだ、
それに対して雇用者である国が補償する。

特定の人達だけが補償されるシステムになった」沖縄県民の被害者12万人のうち援護法
が適用されたのは軍人・軍属28,228人だけ。

一般の住民たちをどう支援したのか
。国が援護法の適用範囲を拡大していった。
「戦斗参加者」の名簿(個人名を出さないことを条件に撮影許可がおりた)には、
いつどこで亡くなったのか、軍からどんな要請を受けたのか、その部隊名も書かれている。

住民が亡くなった理由で一番多いのは、軍に壕を提供したというもの
確認できただけで2万件近く、全体の3割を超える。
しかしこの記録は実態とは異なる。

住民の証言テープには
「日本の兵隊が来て、今すぐ出ていけと。その場で死ぬじゃないかと言ったら、すぐに拳銃抜いて撃とうとした」


テープの聞き取りを行った、沖縄国際大学の石原昌家名誉教授
「日本軍の友軍に壕をぜひ使ってもらおうというのは、これまで聞いた何千人から一度も聞いたことがない」
なぜ国の記録は書き換えられたのか。


それは、援護法の対象を住民にも拡大しようという動きがきっかけだった。
沖縄県遺族連合会の座喜味さん
「戦争で亡くなった者は、なんらかの処遇はしてあげなきゃいけない。全部救えと」
当時一緒に犠牲者の調査にあたっていた元軍人がいる。

馬渕新治元陸軍参謀。23年前に亡くなった。

馬渕さんの聞き取り調査の結果が残されていた。日本軍による住民への加害の実態が書き綴られていた。
威嚇強制のうえ住民を壕から追い出し、自分の身の上の安全を図った。
個人の糧食を略奪。泣き叫ぶ赤子を母親を強制して殺害。
スパイ視して射殺。これが精鋭無比の皇軍の成れの果てか、と。


座喜味さん
「馬渕さんは参謀本部にいた。やっぱり戦争を起こしたんだから、それによっての犠牲を受けた人なら
救うべきじゃないかという解釈で処理していたのだろう。兵隊上がりの者は責任は感じていた」
馬渕さんは、軍に協力した人だけでなく、軍に殺された人たちも援護すべきとした。

報告書を提出した4ヶ月後、国は援護法の対象を住民にも広げた。
94,000人のうち「戦闘参加者」に援護金を支払う。
「戦闘参加者」は、国が指定する20項目のいずれかに当てはまる必要があった。
ほとんどが日本軍への協力行為。日本軍による加害行為も一部含まれた。

しかし、馬渕さんらが望んでいた、戦闘に巻き込まれた住民やその他の加害行為の犠牲者は対象とならなかった。
戦闘協力者と無関係な住民の区別をどこでするのか。
この20項目が原因で、書き換えが行われていた。

当時の手続きに関わった人たちは、かたく口を閉ざしてきた。
事実を後世に伝えたいと、その一人が取材に応じた。
申請の際に書き換えを行なっていたと証言。

その多くが「壕の提供」だったという
「嘘をついてでも軍が壕に入っていった。書類上は証言とは逆のことを書いている」

証言をした金城さん、当時援護課に入ったばかり。
「こんなむごいことはないなと思って。とにかく申請書だけ作ってあげないと、
戦闘参加者と認められないから、この仕事に没頭した」

文字が書けない人も多く、申請書のほとんどを援護課の職員が書いていた。
実際に遺族への聞き取りを始めると、20項目に当てはまらないケースが次々と出てきた。
そうしたケースを吸収していったのが「壕の提供」だった。

申請の窓口だった援護課と自治体担当者のマニュアルでは、…
「壕の提供」なら命令を受けた部隊名が省略できる、としている。
幼少者や高齢者は「壕の提供」なら申請が通りやすい、と。

金城さんたちは、援護法はすべての犠牲者に適用される国家補償のようなものと考えていた。
「この項目に当てはめて、救ってあげたいというのが先立って、みんな集まって協議して。
これはもう、壕の提供にしないと協力者にならない。率先的に協力したと強調しないとダメと」


援護法の適用を決定する厚生省は、こうした書き換えを知っていたのか。
元職員の石井さん「本来は事実関係をきちっと書いて、その上でこちらが判断するが、
沖縄の場合はちょっと特殊。

証明するものが何もない。戸籍もない。記録も何もない。戦後の申し立てしかない」暗黙の了解があったと。


石井さん「それは承知の上。積極的に提供というのは考えられない。
家族親族が中にいて、積極的に国のために提供するなんてことは。
みんな命がけですから」56,861人が戦闘参加者と認められ、援護金が支払われた。

沖縄北部の伊江島。村役場で援護業務を担当していた島袋さん79歳。
この島でも記録の書き換えが行われていたという。
「公には言えない。いくらかこの援護金がどれくらいの生活の糧になったかわからんけど、
気まずい思いをしているのは確かですよ」

35年前に亡くなった遺族の男性。
沖縄戦で長女を亡くした米軍に捕らえられ、日本軍兵士に投降を呼びかけに行かされたが、
6人全員が日本軍兵士に斬り殺された。
戦後、援護法が適用されたが、遺族の男性は、日本軍による娘への加害行為を生涯外で話すことはなかった
遺族の息子「やむにやまれず生活のために仕方ないと思って、それで書き換えて。
日本軍に対する反発は強いものがありましたね。非常に複雑な思い」


元援護課の金城さん
「結局は自分のやってきたことが正しかったか、わからなくときがある」次の世代がこの記録を
すべて正しいものとして受け取ってしまうのではないか、ということが頭をよぎるという。

犠牲者12万人のうち、残りの約37,000人の遺族は、一切の支援を受けずに過ごしてきた。
中には、援護法の適用を自ら拒んできた人もいる。
昭和20年5月、家族全員を失った神谷洋子さん。78歳の今も時折戦争の記憶が蘇るという。
「飛行機が飛ぶと、怖くて外に出ない」

亡くなった2人の写真や遺骨は残っていない。
生きた証は位牌だけ。母親は、日本軍に要請され負傷兵の看護を手伝っていた。
壕に戻って赤ん坊を抱いていた時、爆弾が炸裂した。「入り口封鎖されて真っ暗。
誰かに引っ張りだされて。母親も木っ端微塵になって影も形も残ってない」

「つらいこともあったから、母と一緒に戦争でやられたらよかったのにと思うこともあった」
神谷さん、生活のために援護金の申請を考えたこともあったが、日本軍に協力した形
でなければ認められない制度に頼る気にはなれなかった。


神谷さん「泣いて座っていると、日本の兵隊が来て、これ食べなさいと。
すると別の日本軍が来て、これは僕たちが食べる、国のためになるからと。
小さい子供からも乾パンを盗む。必死に返してちょうだいとお願いするんだけど、
革靴で蹴っ飛ばす。人間が怖くなって。弾より怖かった」

戦後、一般国民の被害には補償をしてこなかった国。


赤澤史朗名誉教授「戦争の被害を受けて困っている人も多かったので、急いで援護したり
お金を渡したりする必要があったが、もうちょっと時間をかけていろんな人の意見を聞けば、
こういうことにならずにすんだかもしれない」

赤澤名誉教授「誤った戦争だという前提に立てば、被害だったら補償する。
ある意味で平等に補償するというありかたが本当は望ましかった」

今年の慰霊式典に神谷さんの姿があった。平和の礎へ向かう
「母ちゃん、来たよ。しばらくだったね」
神谷さんは、一切の補償を受けずに来た国家賠償請求団の一人に名を連ねている。

「毎日これを目標にして、母ちゃんの年金ができたら、上等な位牌を買ってあげるねって」

すべての犠牲に向き合い、戦争を総括することはできなかったのか。
書き換えられた膨大な死の記録が問いかけている。



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2015-08-16 16:50 : 戦争 :
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