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ファシズムへの道を歩みはじめている時代の抵抗のモダンガール☆自由をなくしたあの薄暗い時代に戻してはいけない

時の権力に抵抗するのは並大抵ではありません。
まして弾圧されて国賊と見なされる時代に。

すでに体制側の不正は見過ごされてます。
大臣の献金問題は見逃され>警官の集団強姦は不起訴

国民は集会の自由も会場制限され、ポスターの落書きまで逮捕されてます

まだ治安維持法の時のように拷問まではされてませんが憲法改憲では
それも可能になる恐れが

そんな怖い時代に抵抗し治安維持法で4度も逮捕された女性音楽家がいました、

全く知りませんでした
いつも非常に良質の記事をお書きになるブロッギン・エッセイ~自由への散策~さまの
記事で知りました。

全文は是非ツイートのリンク先☆でご覧ください。




抵抗のモダンガール 作曲家・吉田隆子/岩波書店



¥2,052

Amazon.co.jp


追記☆ブロッギン・エッセイ~自由への散策~さまの本の感想です☆ぜひお読みください☆

興味を覚え調べてみました。
まずwikを☆
陸軍少将の娘と言う恵まれた環境で日本女子大学附属高等女学校卒業。

恋多き女性で、男女平等を願い自由であること、反戦への信念は貫いてます。

NHKの朝ドラのヒロインになりえる生涯ですができないでしょう。
1950年にNHK出演者レッドパージ対象者とされてます・



「一人の人間として『男』と平等にあれ! 一方我に勉学の自由を与えよ!」。
二十歳の吉田隆子はこんなメモを書いている

自由に劇音楽を作曲し、舞台を行う隆子は結果、治安維持法違反と見なされ、
碑文谷署に四度も収監される憂き目に遭う。

もともと病弱なため、四度目の拘留時には慢性腹膜炎を起こし、生死の境をさまよった。

そんな思いまでしてなお、自らの信ずる音楽を奏で続けた理由を、隆子はこんな風に書き残している。

 「嘘のない作曲をしなければならないと思いました。(中略)
もしも嘘の感情があったならば、どうして観客の心に入って行く事が出来るでしょうか」

自由☆平等☆平和 まさに民主主義の根幹これを失う時代になりつつある今、彼女は天国で
憂えてるのではないでしょうか。

美空ひばりさんのこういう思いも知りませんでした・・・・・
こちらも調べてみました。

「一本の鉛筆があれば 戦争はいやだと 私は書く」と言う記事から☆



歌詞は松山善三さんこちらからどうぞ

その歌が誕生したのは、平和をテーマにした音楽祭が始まったことがきっかけだった。
世界に平和を発信したいという広島テレビ放送の企画に賛同した美空ひばりは、
音楽祭への出演を快諾し、課題となった新曲に取り組んだ。

幼少時に父が徴兵された美空ひばりは、四人の幼子を抱えた母と一緒
に苦労を重ねて、戦火の中を生き延びてきた。

横浜大空襲では避難した防空壕で、地獄のような恐怖を体験していた。


  私は あなたへの愛を書く
  一本の鉛筆があれば
  戦争はいやだと 私は書く



一本の鉛筆と一枚の紙があれば、たった一人でも反戦を訴えることができる。

この真っ直ぐなメッセージ・ソングを作詞したのは、音楽祭の総合演出を引き受けた
映画監督であり、脚本家の松山善三だった。

黒澤明監督の映画音楽で知られる音楽家、佐藤勝がメロディとアレンジを
担当して新しい歌が完成した。

1974年8月9日、美空ひばりは第一回広島平和音楽祭で初めて、この歌を人前で歌うことになった。

その日も暑い日だったが、会場の広島体育館は冷房がなく、出番を待つ体育館の
用具置き場のようなスペースには、氷柱が一本立っているだけだった。

そこで出番を待っていた美空ひばりを気遣って、広島テレビのディレクター
が「ここは暑いですから、冷房のある別棟の楽屋でお待ちください」と声をかけた。

「あの時、広島の人たちは、もっと熱かったのでしょうね」

誰に言うでもなく、そうつぶやいたのは美空ひばりだった。

美空ひばりは「一本の鉛筆」を、数多い持ち歌のなかでも大切な曲の上位に入れていた。

再び広島平和音楽祭に出演したのはそれから14年後、1988年の夏である。

大腿骨頭壊死(えし)と肝臓病で入退院を繰り返し、再起は絶望と伝えられていた中で
、4月11日に開かれた東京ドームのこけら落しとなる「不死鳥コンサート」を成功させた後だった。

だが東京ドーム公演後を境に体調はひどく悪化し、1人で歩くことさえ困難な状態にあり、
会場となった広島サンプラザの楽屋に運び込んだベッドで、点滴を打ったまま横になっていた。

ところがひとたび舞台に上がって観客の前に立つと、笑顔を絶やさずに「一本の鉛筆」を歌い、
ステージを降りた時には「来てよかった」と微笑んだ。

 
  八月六日の朝と書く
  一本の鉛筆があれば
  人間のいのちと 私は書く



翌年の6月24日、美空ひばりは52歳の若さで逝去した。

しかし美空ひばりによって生命を与えられた「一本の鉛筆」は、その後も歌い継がれ
て今ではスタンダードになっている。
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2015-11-01 19:50 : 戦争 :
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